お金の基本

Q. なぜ30年間、日本人の賃金は上がらなかったのか?——そして今、変わりつつあるのか?

A. 企業が稼いだ利益を賃金に回さず、貯め込んできたからだ。その構造は今も変わっていないが、企業の「お金の使い道」は変わりつつある——株主への還元にシフトしている。

企業は稼いでいた——ただ賃金に回さなかっただけだ

日本企業の内部留保(稼いだけど使わず貯めたお金)は2023年度に555兆円(過去最高)。日本のGDP約600兆円に匹敵する額が企業の金庫に眠っている。

「失われた30年」の間、企業収益は回復していた。ただその果実は賃金にならず、内部留保と株主配当に流れた。

なぜ賃上げしなかったのか——企業の合理的な判断

賃金は一度上げたら下げられない

日本では基本給の引き下げは法的・社会的に極めて困難だ。「上げる=永続的なコスト増」になるため、企業はボーナスで調整する形を選んできた。

解雇できないから、雇うリスクが高い

「整理解雇の4要件」により、業績悪化だけでは人を切れない。だから正規雇用を増やすことを避け、非正規(現在は労働者の約38%)で調整できる体制を作った。

海外の安い労働力で代替できた

「国内賃金を上げるくらいなら中国・東南アジアで作ればいい」という判断が製造業の空洞化を生んだ。国内雇用が減り、残った雇用も賃上げ圧力が下がった。

バブル崩壊の恐怖が染み付いた

1990年代に借金で多くの企業が潰れた。「二度と借金で死なない・現金を持て」という経営文化が30年間続いた。デフレ下では現金を持つのが合理的でもあった。

組合が弱体化し、賃上げを要求できなくなった

戦後の労働組合は春闘で強い交渉力を持っていたが、1989年に対立色の強い総評が解散し、連合(より協調路線)に統合された。さらに決定的だったのは非正規雇用の拡大だ——非正規労働者の多くは組合に入れず、労働者全体の交渉力が低下した。組合加入率は1970年代の約35%から今や約17%に半減している。

個々の企業の判断としては合理的だった。しかしそれが全企業で起きた結果、「30年間誰も賃金を上げなかった」という社会全体の損失が生まれた——これを合成の誤謬と呼ぶ。

企業は変わりつつある——ただし「賃上げ」ではなく「株主還元」に

東証の「PBR改善要求」(2023年〜)や外国人機関投資家の圧力により、日本企業は内部留保を吐き出し始めた。しかしその使い道の主役は自社株買いと配当増加——つまり株主への還元だ。

2023〜2024年にかけて自社株買いは過去最高水準を更新。賃上げも一部で起きているが、規模としては株主還元の方が大きい。

自社株買いがなぜ株主にメリットがあるのか

配当は「現金を株主に配る」直接還元だ。一方、自社株買いは会社が市場で自社の株を買い戻し、消却する。株の枚数が減るため、残った株1枚あたりの利益(EPS)が増える——それが株価上昇につながる。

例)利益100億円、株式100株 → EPS 1億円/株

自社株10株を買い戻すと、株式90株 → EPS 1.11億円/株

利益は変わっていない。株数が減った分、1枚の価値が上がる。

配当も自社株買いも「稼いだ利益を株主に渡す」行為で、本質は同じだ。

名目賃金は上がり始めた——ただし「本物」かどうかはまだわからない

2024年の春闘は平均賃上げ率5.1%(33年ぶりの高水準)、2025年は5.46%とさらに上昇。大企業を中心に初任給30万円超が相次ぎ、「賃金が上がらない日本」に明確な変化が起きている。

問題は「実質賃金」だ

名目賃金が上がっても、インフレ率がそれを上回れば「買えるものが減る」。2022〜2024年は実質賃金がマイナスの月が続いた。2024年後半からようやくプラスに転じ始めた。

今の賃上げが生産性向上に伴う構造的な変化なのか、それともインフレと円安への追いつき(コスト転嫁)にすぎないのか——まだ判断は難しい局面だ。

だから「株主側に回る」という選択肢が生きてくる

名目賃金は上がり始めたが、企業が稼いだ利益を株主に還元する流れも同時に強まっている。賃金だけに依存するより、利益の分配を受ける側にも回る方が合理的だ。

NISAはその仕組みを無税で使える制度だ——日本人の家計資産の52%はまだ現金・預金のままだが、その意味がこの構造を知ると変わって見えるはずだ。